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2015年12月14日月曜日
海保のYS-11とサハリンの話
突然ですがサハリン(樺太)に一度観光で行ってみたいなーと前々から思っていたので
今日つらつらと調べていたら、こんな記事を発見しました。
コンスタンティン・スコロプイシュヌイ
大やけどを負って、生きるか死ぬかのところを
北海道で皮膚移植を受けて奇跡的に助かったソ連の男の子です。
子どもの時に何度かTVのニュースや再現番組で見ていたので
知ってはいたものの、よくよく調べてみると興味深いことがいくつか分かりました。
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・断水のため、貯めておいた水を電熱器で熱湯をお母さんが作っておいたら
ころんだ男の子が熱湯を浴びてしまった。
・ソ連国内では治療できる病院がなく、死を待つだけのところに、
偶然サハリンにいた日本人にお母さんが日本への連絡を依頼。
国際電話で道庁に連絡したことがきっかけだった。
・道庁→外務省→海保が救助の流れで、超法規的措置での救出劇だった。
・その時サハリンに行った機体が、すでに退役済みの戦後初の国産旅客機YS-11だった。
・コンスタンティンくんは自分と同い年、1987年生まれ。
YS-11はその誕生とか、欠点とか政治的な理由であまり活躍できなかったことが面白くて
最近記事をいろいろ調べていたのですが、
この時、男の子を救出したのが海上保安庁の機体だったとは知りませんでした。
しかも、大韓航空機撃墜事件があったばかりの時で
東西の緊張、米ソの緊張、日ソの緊張が特に高まってた時期なんですね。
自衛隊機が行けるわけがなく、こういう時はもう海保が出るしか無いんですよね。
調べたら、北海道文化放送のニュースを見つけました。
海上保安庁千歳航空基地のYS-11退役がテーマ。
当時リアルタイムに見た覚えがかすかにあります。
実家のある小樽の海上保安庁が出てきたこともあり、かなりウルっとしてしまいました。
そういえば自分も同じくらいの歳の時に、ストーブの煙突でやけどしたことがあって
随分両親も心配しただろうし、病院通いも大変だったろうなと、重ねて思いました。
毎晩自分の腕の水ぶくれに針を刺して、
包帯巻き直してくれた母さんの辛そうな顔を今でも覚えてます。
NHKのプロジェクトXでも取り上げられてたそうで、映像をちょっと探してみます。
東西冷戦中、日本とソ連の双方のたくさんの人の努力で一人の男の子が救われたこと
その男の子が自分と同い年で、今では結婚してサハリンで元気に暮らしていること。
海上保安庁のYS-11が活躍したこと、その機体はもう海外に売却されて国内に存在しないこと。
などなど、いろいろ
サハリンへ旅に行くドキュメンタリー
北海道の海上保安庁に話を聞いたり、サハリンのコンスタンティンくんを訪ねる
そういう番組が見たいなと思いました。
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