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2016年3月22日火曜日

ランエボがどうしてWRCで勝てなくなったのか考えてみた。




今日もまたWRC―世界ラリー選手権についての話。
2003年シーズンのスバルについて書いたので
今日は2000〜2001年の三菱について「たられば」を考えてみました。







1990年代後半WRCでは、三菱が最強で
1996年から4年連続ドライバーズタイトル獲得、
98年には合わせてメイクスタイトルも獲得。

この強さ、成功の秘訣はいくつかあって…



①4年連続チャンプのトミ・マキネンが速すぎた。
もはや説明不要。




②改造範囲が狭いグループAにとどまったため、信頼性が高かった。
ライバルはより改造範囲が広いワールドラリーカー規定に移行したけど
結果的に競技専用パーツが原因でトラブルが多発してしまったんですね。



③電磁式アクティブデフ
駆動力を分配するデフが、路面に応じて自発的に可変するアクティブ式。
しかも電磁式でライバルの油圧式と比べ、軽量コンパクトでトラブルが少なかった。




④開発は日本の三菱本社、ラリー参戦は英国のチームと分業だったから。
日本のメーカーは、ヨーロッパの競技専門のファクトリーに任せっきりなのが普通。
ところが三菱は、本社の開発部門が設計・開発するから
高度な施設を使って開発費用と時間をたっぷりかけて開発できる。データも使い放題。



そして英国のファクトリーはラリー参戦・チーム運営・マシン製作に専念。
このファクトリーがビックリするくらい小さい。地方の整備工場くらいの規模。
でもチーム力には定評があって、マキネンのサファリラリー初参戦で初優勝に導いたり。
(今では当たり前の、事前にパーツ耐用時間を把握しておパーツが壊れる前に事前に交換していく方式を初めて導入したり)


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ところが、2000年から状況が一変
マキネンはランキング5位に転落し、たった一勝しか挙げられず。
(ようやく勝てたオーストラリアでは不慮のホモロゲ違反で失格)
三菱もシーズンランキング4位(大手メーカーの最下位)へ。

今回のテーマは、この三菱の急失速の原因を考えたうえで
この時どうすれば、この悲劇を避けれたのか。
15年もたった今振り返り、素人の自分が素人なりに考えてみよう、というものです。


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この2000年、三菱の大失速の原因は以下の点に絞られるかなと思います。




①ライバルがめっちゃ強くなった。
ハイテク満載のライバルが、速いだけでなくちゃんと完走するようになったこと。
特にプジョー206の成長は目覚ましく、フル参戦初年度の2000年に
ドライバーとメイクスのダブルタイトルを獲得する衝撃の結果に。






②チームの予算不足+低重心化の不足
ラリーマシンのベースになる市販車を開発してくれるとはいえ、
三菱本社はラリーチームの運営自体にはあまり予算を割かなかったらしく
チームはつねに予算不足。

98年にようやく、初めてシーズンを通して
エースと2nd、2人のドライバーを固定して参戦できるようになったレベル。
(それでいきなりダブルタイトルを取ったのはすごいですね。)
99年からフレディ・ロイクスが加入して
マルボロのスポンサーを持ち込んでから、ようやく資金が安定したんだとか。





それまでは、一戦だけスポンサーをもらって
タバコ広告のカラーリングになったりしてました。泣けますね…






そんなわけで、ライバルがやってるようなお金のかかるパーツも開発できず
細かいパーツ類がアルミ製だったり(ライバルはカーボン製)
燃料タンクがトランクにあって、前時代的で保守的。
結果として、重心が高いし曲がりにくいクセを持っていました。



例えば2003年にシュコダが燃料タンクをトランクから床下に移した結果
キロ1秒速くなった(60km走ると1分差が出ちゃう)というデータもあるので、
きっとランサーでも導入すれば効果が大きかったはず。







③マキネンしか勝てないマシン・チーム
97,98年とトヨタのドライバーとして絶好調だったロイクスが99年に三菱加入!
ところが、マシンとの相性が最悪で絶不調に…。
有力チーム内の最下位で終わるのが定位置となってました。もちろんクラッシュも多い。
これではマキネン一人でチームを背負ってるようなもんで、なかなかつらい。




主な原因は、三菱独自の電磁クラッチ式センターデフ。
油圧式と比べると圧着力が不足していて、アクセルを抜くと
フロントの駆動力が一気に抜けちゃう癖があるので(ランサーはリアの駆動力がメイン)
アクセルふみっぱ&ブレーキでコントロールするドライバー向き。
逆にアクセルでコントロールするドライバーには全然合わない機構なんですね。



前者はもちろん、マキネンをはじめとする北欧系の人や元三菱の2ndだったバーンズ。
後者は舗装が得意なフランス人やベルギー人に多い。そしてロイクスはベルギー人。
ロイクスにかぎらず、後に三菱に加入したデルクール(フランス人)も大いに手を焼き
コーナーでスピン寸前のドリフトをしちゃうこともしばしば。
(=前輪の駆動が抜けてしまってるから)

これ以外にも、マシンの開発ドライバー(同郷のフィンランド人)が
完全にマキネン向きの開発をしていたことや
そのマキネン自体、猛烈に硬い足を好んでいたことも原因として有りそう。
とにかく、マキネン必勝体制のせいで2ndがポイントを稼げなかったことが
三菱がタイトルを取れなかった原因と考えられますね。






④グループAの限界
いくらラリーマシンのベースとして徹底的に開発されてるとはいえ
ランエボはあくまでも市販車。しかも330万円という性能からすると破格の安さ。
5000万円もするスーパーカーではないわけで、たくさんの制約があるんですよね。

グループAとWRカーを比較して特に制約がきついのが
・リアのホイールハウスを拡大できない
(=市販車はリアシートがあるからホイールハウスを大きく出来ない)
+リアサスペンションの形式を変更できない=サスペンションのストローク不足
・インタークーラーを変更できない(パーツ自体を交換できない、位置も変えれない)
・排気管(エキマニ)を交換できない
・フライホイールを軽量化出来ない(市販車で軽くしすぎると街乗りが辛い)



興味深いのが、2001年にWRカー規定が一部特例で認可され
・リアのホイールハウスを拡大(サスペンションのストロークが3cm拡大)
・フライホイールを軽量化
この2つの改良を導入。
これだけでエースマキネンが、モンテカルロ、ポルトガル、サファリで優勝。
スウェーデンでも2位(ラドストローム)と絶好調に。


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というわけで、ほんの少しだけ
市販車のランエボの仕様を変える&チームの運用を変えるだけで、
やっぱり三菱は2000年も最強でいられたんじゃないか、と今振り返って思うのです。

以下、妄想ですがアイディアを書き留めておきました。


【市販車側】



2000年の1月に発売された、トミ・マキネンEdition
これはマキネンのWRC4連覇を記念して
エボ6をベースに、改良型チタン合金製タービンに換装し
足回りのセッティングと外装と内装をスペシャルにしたもの。

とはいえ、基本的にはそれほど変更がなく
価格もエボ6より3万円だけ高い330万円程度。

どうせなら、もっとドカーンとお金をかけて
スペシャルなモデルにしてよかったんじゃないかと思うんですね。

グループAのホモロゲーション(参戦に必要な承認)は
年間生産台数が2500台以上なのですが
エボ5とエボ6がそれぞれ7500台、トミマキネンEditionが2900台と
大幅に上回っているんですね。もっと高くても2500台はクリア出来たはず。



ちなみにR34GT-RのVスペックⅡニュルは610万円で1000台即日完売。



【追加改良案まとめ】

・軽量フライホイール(もちろん搭載・街乗り辛いのは無視)

 
・等長エキマニ(純正はあまりにもひどいので…)

  
・2段リアウィング廃止
→エボ6の純正は規定違反で、下部ウィングを塞がないといけない仕様に。
 これをエボ5の1枚ウィングに戻し、位置をインプWRCみたいに
 リアの後端ギリギリまでずらして装着する。コストも掛からず空力効果向上のはず。

・カーボンボンネット(R34GTRのV2が採用してましたね)
・アルミルーフ・アルミフェンダー(後にエボ9MRが採用)



・インタークーラーとラジエーターのパラレル配置
→エボは伝統的に、ラジエーターとエアコンのコンデンサーの前に
 インタークーラーを配置してきましたが
 これは配管が複雑で長くなってしまうので、圧力の損失が大きい。
 しかも、インタークーラーの熱を持った空気がラジエーターに当たって
 効率が悪いし、抜けも良くない(と思われる)

 

 そこで、ラジエーターの幅を7割くらいに狭めて
 空いたスペースにインタークーラーを並べて配置するパラレル式で配置すると
 一気に解決するのではないかと思いました。
 (後にWRカーになったランサーの第二世代で採用されていたりします)




 ボディシェルを大きく変える必要が無い変更だから、そこまで大変じゃないはず。
 以上の改造で、およそ100万〜200万の価格アップになりそう。 
 ちょっと高すぎるけど、元が安過ぎただけ。
 なんてったって「トミ・マキネン・エディション」ですから。勝つためには仕方ない。



【リアのホイールハウス拡大】
でも、一番効果のあるリアのホイールハウス拡大は
ボディシェルを大掛かりに変える必要があるので大変。

じつはエボ5・6のリアフェンダーはオーバーフェンダー付きなのですが、
あれはただの飾りで実質的には、5ナンバー時代のエボ4と
ホイールハウスの大きさとトレッド自体は大きく変わらないのだとか。



これくらいきちんとホイールハウスもデカくして
ただの飾りじゃないフェンダーにできればいいんだけど
リアドアの加工がけっこう大変らしい。
蛇足ですがWRカー規定でも最初はリアドアの加工が禁止されてて
(シュコダのオクタビアから解禁)
WRカーの多くが2ドアなのはそれが理由なんですよね。





そこで、いっそミラージュベースの2ドアにしてしまうってのはどうだろ。
リアのホイールハウスを拡大するのもそこまで大変じゃないはず。
そうなると、いよいよランエボじゃなくなっちゃうけど
インプレッサWRXにも2ドアがあったくらいだから許されないかなぁ。



2ドア+オーバーフェンダーとなると
インプレッサWRX22Bを思い出しますね。
ランサーエボリューションクーペ・トミマキネンEdittion…いい響だぜ!




じつはギャランVR-4から、よりコンパクトなボディに移行する際
ランサーベースにするか、FTOベースにするか
2種類のボディをベースに開発者を作って社内コンペをしたんだとか。

結果的にフロントサスペンションのロワアームが
テンションロッド式だったFTOが落選してランサーベースになったらしいんだけど
ボディの形状で言ったらFTOベースのほうが後々よかったんじゃないかなぁ。


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【チーム運営について】

ここまでは市販車側の改良点を考えてみたけど
ここからはチームの運営について考えてみた。


①スポンサーマネーをかき集める。
英国にある三菱のファクトリーは
お金を集めることに関してはそこまで組織だって出来ていたわけではないらしい。
他のチームみたいに、自動車メーカーの広報が色々やってくれてたわけではなく
チームのマネージャーや代表が必死にやっていた状況だったらしい。

チームの実際の状況は本を読むだけでは理解しきれないけど
でも、きっともっとたくさんのスポンサーを集めることはできたはず。
日本のラリーファンや三菱・ランエボファンの思いを
充分にチームへつなげきれていなかったのではないかと思うんです。



99年からはようやくマルボロのスポンサーが付いたんだけど
それよりも前に、なぜ日本の企業がスポンサーにならなかったのかとても不思議です。
日本を代表する世界で活躍するマシンなわけで、一度スポンサーになれば
ゲームやミニカー、プラモデル、ランエボの販促グッズや広告にも名前が出るわけで
結構露出も多かったのではないかと。日本だけでなく世界中でね。

とにかくWRCが日本でマイナーだったことが原因かなと思ったんですが
面白いのが、欧州メーカーのマシンに
日本のメーカーがスポンサーに付いてることが結構あったんですよね。

 

フォード・エスコートにはプレイステーション
プジョー・206にはNIKKOとクラリオン



プレイステーションは、2001年に女性で初優勝者になった
ユタ・クラインシュミットのスポンサーでしたね。

 

プレイステーションだけでなく、ゲーム会社がスポンサーになるケースも多いようで、
新井敏弘選手のインプレッサでお馴染みのスパイク、サミー。
そしてご存知グランツーリスモ、つくば耐久のS2000のスポンサーになってましたね。


 
 

クラリオンは日産のレース・ラリーによく出資してたし
カーオーディオで言えばパイオニアが、パリダカやラリージャパンに出資するくらい
かなり本格的にスポンサーをやってましたね。

 

NIKKOに関しても、模型/ラジコンメーカーがスポンサーになることは結構あって、
TAMIYAはパリダカに出場していたランクルやスーパーGTのスポンサーだったし
グッドスマイルカンパニーは自前のチームでGT300のチャンピオンも取りましたね。
(2011年…三菱がWRCから撤退したあとのことだけど)

 

 


そんなわけで、自動車関連じゃない日本企業でも
モータースポーツのスポンサーになってるところは結構あって
他にも有名ドコロでは、ルノーF1にドコモのiモード、GT500ではauセルモスープラ
スーパー耐久のGT-RにはJAS、バイクの世界ではカップヌードルなんかが有名ですね。


まとめると

・ビデオゲーム関連企業
・模型メーカー
・オーディオメーカー
・携帯電話・通信企業
・航空会社
・食品メーカー などなど

モータースポーツに出資している日本企業は意外に多く、
きちんと営業すれば三菱チームにも出資する企業があったのではないかと思います。
なんたって4年連続チャンピオン獲得の日本の自動車メーカー、ですから。

おそらくは、チームに専属のスポンサーを集める担当がいなかったこと
特に日本側にその担当がなかったこと。
(そしておそらくは、三菱グループと競合する企業が多く簡単ではなかったこと)
これが当時スポンサーがあまりつかなかったことが原因な気がします。

日本企業のロゴをいっぱいまとったランサーエボリューションが
WRCで活躍するところ、みたかったですねぇ…。



②マシンの低重心化を推し進めてみる。

さすがにWRカーのようにべらぼうな改造は出来ないものの
グループAでも出来ることはあるはず。



一つは前述の燃料タンクの床下配置化。
結構コストがかかるらしいけど、効果は確実なので早く導入していれば…
実はこの後三菱は、ランサーがWRカーになってもトランクに燃料タンクを配置してたんですよねぇ

ほかにも、ロールバーに溶接でくっついてる鉄製のヘルメットハンガーを
カーボン製にする、またはハンモックにするとか、
手作りのスイッチ類を、基盤直付スイッチパネルにするとか。
モニターをフロアに設置するとか、いろいろ出来たはず。


これが最近主流のスイッチパネル。三菱電機とかで作ってくれたり出来そう。


フォーカスWRCの室内。モニターとスイッチ類が重心低くするためにフロアに設置。




③セカンドドライバーを何とかする。

99年から加入したフレディ・ロイクスが
とにかくランサーに合わなくて絶不調だったことはさっきも書いたけど
じゃあ、もっとランサーに合うドライバーを起用すれば?と誰もが思うはず。



そうすれば、マキネン以外のドライバーにも優勝のチャンスが出てくるわけで。
現に98年にはバーンズがサファリ・GBと2勝してますしね。



これについては、三菱もすでに対策していて
2001年にはトマス・ラドストロームを起用してスウェーデンで2位
2002年にはヤニ・パアソネンを起用してNZでベストタイム取ったり。

とはいえ、ロイクスとは契約が2001年までは残っていたし
なにより毎回絶不調だったロイクスが可哀想。
実力的には、いつ優勝してもおかしくない人だったわけで。


そこで思ったんですが、いっその事
人じゃなくてマシンの方をなんとか出来なかったのかと。
つまり、原因である電磁式センターデフをあえて捨てたらどうだったのでしょうか。




ヒントになるのが2004年にデビューしたプジョー307WRC

2年連続タイトル獲得したプジョー206の後継マシンということで
いくつか革新的で大胆な機構をと入り入れていて
(ベースがカブリオレってのがそもそも衝撃的)
なかでもセンターデフを、あえてアクティブ式を捨てて
ビスカス式を採用していたこと。



ビスカス式、というのはたくさんの薄いプレートを重ねて
その間に水飴のように硬いシリコンオイルを充填して密封した仕組みで
オイルの粘度で駆動力を分配、さらに発熱によってオイルが膨張すると
プレート同士が密着してロックされる仕組み。

あくまでも電子制御ではなく、駆動力を物理法則で振り分ける仕組み。
センターデフには相性が良いらしく、市販車のフルタイム4WDには
ほぼこれが使われていますね。

競技でも使われることが多いのですが
2004年当時は、油圧式のアクティブデフが優勝には必須と言われていたので
プジョー307WRCが採用したのは、かなり衝撃的でした。

結果的に、タイムは悪くないんだけど
パワステやトランスミッションのトラブルが多発して
プジョーは不遇の時代を迎えてしまいました。



そこで、もしロイクスが乗ってたランサーエボリューションに
このビスカス式のセンターデフを採用していたら
実はかなりいい結果がでたんじゃないか?と思うのです。

唐突にアクセルのオンオフで挙動が変わるよりも
アクティブ式の強みを捨ててでも、挙動がわかりやすいビスカス式であれば
ロイクスには合っていたし、自信を持って攻めれたのではないかと。



2004年の段階でも、307WRCのタイム自体は悪くなかったし
現代のWRCマシンはルール上、センターデフが「無い」つまり完全ロック状態。
それでもちゃんと走れているので、完全に「ゲームオーバー」にはならないはず。



それに、2000年のプジョーWRCでも
フランス人のデルクールが、あえて前後デフをアクティブ式から機械式にして
結果が良くなったということもありました(センターはアクティブ式だったけど)
北欧系とは違い、フランス系のアクセルで微調整しながら走るドライバーには
下手なアクティブよりもフィーリングが良かったんだそう。

・フィーリングの合わないアクティブ式は、かえってタイムが出ないことがある
・2004年でも、ビスカス式センターデフが使われていてタイムは悪くなかった。
・現在のWRCではセンターデフが禁止されて完全ロックでやれてる。

以上のことから、あえて三菱独自の電磁式アクティブデフをやめて
ビスカス式のセンターデフをロイクス用に用意してやれば
全然違う結果になったのではないかと思うのです。

ロイクスの表彰台獲得(とくに舗装が速かった)や
三菱のメイクスタイトル獲得だってありえたかもしれませんよ。


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そんなわけで、グループA時代のランエボが
急激に勝てなくなってしまった理由と、
当時どうすればそれを阻止できたのかを、素人なりに考えてみました。

当時の三菱は全員が必死に戦っていたわけで
そこに10年以上たった今、よそものがあれこれ言うのは
フェアじゃないし、失礼なのかなとも思うのですが
こういう「たられば」はやっぱり面白いですね。

もし、なにかこのブログを読んで思うことあれば
是非コメントなどお願いします。色々と議論したいです。

本当は2001年から三菱が投入したランサーのWRカーについても
いろいろ書きたかったのですが、これはまたの機会に

それではみなさん、またお会いしましょう。


ひわい








2 件のコメント:

  1. 初めて書き込みさせていただきます。これは興味のない人が読んでも、興味を持たせてしまう、そんなエネルギーを持っている記事ですね。ひわいさん応援しています。

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    1. コメントありがとうございます。ブログのお引越しをしてからなかなかコメントをいただけないので本当に嬉しいです。

      一般の人にも読んでもらえる記事はなかなか難しくて筆が進まないので、
      先にずっと書きたいと思ってたマニアックな記事を書いてみました。
      ひと通り書き出せた気がするので、今後は普通の人にも読みやすい題材の記事を書いてみようと思います。

      今後も、なにとぞお付き合い下さい!

      削除