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2016年5月6日金曜日

三菱がWRカー時代に勝ちまくるにはどうすればよかったのか




先日は、2000〜2001年ごろのランエボが
WRC−世界ラリー選手権でなぜ勝てなくなったのか、
そしてどうすれば勝てたのかを考えてみたんですが
今日は、グループAからWRカーに移行した頃のランサーについて考えてみました。







2001年、三菱は前年度のマシンを特例で改良したマシンを投入。
(グループAでは禁止の)リアのホイールハウスを拡大し
サスペンションのストロークを延長&フライホイールを軽量化しただけの、
グループAそのままのマシン(通称エボ6.5)です。



その後、シーズンの後半にWRカー規定で製作した
ランサーエボリューション7をデビューさせましたが、これが絶不調。
トラブルだらけでセッティングも決まらず
結局マキネンは大失速し、チャンピオンをのがしてしまいました。

旧型のエボ6.5で3勝し、稼いだポイントが大量にあったし、
その勢いで行けばチャンピオンもありえたのですが…

ランエボWRカーの抱えていた問題点



1:WRカーなのに、いろいろ造りが古臭い・グループAっぽい。
→燃料タンクがトランクにあったり、見た目を市販車のランエボ7と
 一緒にしてしまったのでホイールハウスも小さくてサスのストロークが短い。
 エンジンも直立していて重心が高い。全体的に重い。



2:足回りがクソ
→フロントサスをグループAのものを流用したために
 WRカーになって自由度が増したリアサスとのバランスが完全に狂ってしまった。
 しかも、スーパーストラット的な仕組みを取り入れていたため
 うまく機能しなかった。
 セリカがST205でやらかしたトラブルと同じもの。しかも後述の新WRカーにも引き継がれたため、トラブルのもとになった。

3:センターデフが相変わらず電磁式
→これの欠点は前回の記事で詳しく書いたとおり。
 北欧系の左足ブレーキ使いまくりなドライビングにしか使えない。
 しかもこれは、無駄が多くて時代遅れとなりつつあったドライビングスタイル。
 後についていけなくなったマキネン・マクレーがWRCから引退することに。


4:本番でトラブル続出
→英国にあるファクトリーは、あくまでも日本が設計したマシンを
 ラリー用に組み立ててラリーに参加することを担当していたので
 他のチームと比べるととても小さい組織・施設。
 ところがWRカーになって、英国のファクトリーの開発タスクが大幅に増えて
 業務が回っていなかったのではないかと予測されます。
 結果、実戦でそれまではありえななかったトラブルが続出…


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このため三菱は2002年になっても絶不調であり、いったんWRCから撤退。
(三菱の不祥事も合って組織も色々と変更がありつつ)
2003年のテスト参戦を経て、2004年に大幅にリニューアルしたマシンを引っさげて
本格的に復帰することになりました。




このマシンは、それまでの市販車に似せた見た目を完全に捨てて
当時のトレンドに沿った設計の完全新設計マシン。
市販車のカタチを捨てて、ツーリングレースカーみたいな空力と
低重心化されたエンジンと、極めてシンプルな設計が特徴でした。



元プジョーの開発責任者マリオ・フォルナリスが設計したものなので
室内・エンジンルームがシルバーだったり、ホイールのPCDが同じだったり
インタークーラーの配置がそっくりだったりと、影響が濃厚です。



このマシンは、初期トラブルを乗り越えて
2005年には表彰台争いに絡むことも増え、最終戦オーストラリアでは殊勲の2位獲得。
しかし、その直後にその年限りで完全撤退することになってしまいました…。

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結局2001年サファリを最後に、1勝もあげられずに撤退。
復活の兆しが見えた2005年まで、あまりにも時間がかかりすぎて
首脳陣もしびれを切らしてしまったのかなと思います。
それに市販車と関係が薄いWRカーでの参戦は、三菱にとってはあまり意味がなかったのかも。




そもそも、モータースポーツ(というか自動車自体)興味が無いと言われる
益子修氏が社長になってから、成績が好調だったパリダカすら撤退する状況。
必ずしもWRCの結果が出なかったことだけが撤退の理由ではないでしょうが
それでも、もう少し早くに良い果が出ていればと悔やましい限りです。



前書きはこれくらいにして、
三菱がこのような悲惨な状況にならずに済むにはどうしていればよかったのか。
実際にあれこれ妄想してみたいと思います。



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プラン①:もう少しWRカー移行を緩やかにするべきだった。





前回の記事ともリンクしますが、暫定的に投入した
WRカー規定を一部適応したランエボⅥを、もう少し長く使うべきだったかなと思います。

チャンピオン争いするマキネンの強い希望があったそうですが、
それでも熟成不足のニューマシンを投入するのはあまりにもリスクが高すぎでした。
投入は第11戦のサンレモ。最終戦まで3戦リタイア&6位一回とひどい結果に終わりました。

とはいえ、2001年の途中でWRカーを投入するという約束で
暫定仕様のアップデートが出来たとのことで、そこまで遅くも出来なかった。


そこで

・タイトル争いするマキネンには、最終戦までエボ6.5を使わせる。
・どうせ結果が出てないロイクスを開発要員として、サンレモからエボ7に乗せる。
・そもそもエボ6.5は、燃料タンクの床下設置など、戦力をさらにアップさせておく。
 ※前回の投稿を参照のこと。



これなら、マキネンは絶対的に速くはないけど安定しているマシンでタイトルを狙えたし
マシンの熟成をしつつ、チームの体制もそこまで負担にならなかったんじゃないかと。


※同様の戦略を、ST205投入時のトヨタが1994年にやってます。

とはいえ英国のチームだけでは開発しきれなかったでしょうし
日本の三菱側も、WRカー開発をもっと分担すべきだったかと思います。

で、2002年からフル体制でWRカーを投入する。
できれば、この時からグループA時代を引きずらないで(2004年に投入したような)
完全なWRカーとして設計したマシンを投入していればなぁーと思います。






プラン②:そもそもWRカーに移行しないで続けるべきだった。




いろいろ考えたんですが、実はそもそも改造範囲の広いWRカーに移行するより
市販車に近いグループAのまま、三菱は参戦し続けたほうが良かったのではないかと思います。

でもグループAは改造範囲が狭い…確かにそうなんですが
実は裏を返すと「市販車の段階から戦闘力の高いマシンにしておく」ことで
WRカーよりも、結果的に改造範囲が広いマシンが出来たかもしれないのです。

たとえば、WRカーは足回りやボディパネルなどの改造範囲は比較的自由ですが
エンジンの搭載位置(縦置きにしたり出来ない)、パーツの材質などは変更できない。




そこで参考にしたいのが、これ。
フォード・エスコート・コスワースです。



これは、フォードがWRCで必勝のため開発したマシンで
もともと前輪駆動のエスコートに、縦置きエンジンのシエラ・コスワースの
エンジン・駆動系を無理やり搭載したもの。

簡単に言うと、スカイラインGTRの中身をサニーにぶち込んだようなものです。

このエスコート・コスワースもスカイラインGTRも
どちらも縦置きエンジンの4WDで、フロントデフの位置・設置の仕方もよく似ています。





上がエンジン&フロントデフを下から撮影したもの。
下はボディから下ろしたエンジン&フロントデフを上から撮影したもの。

ご覧のとおり、エンジンの横にフロントデフを設置して
エンジンのオイルパンをドライブシャフトが貫通しているんですね。





エンジンとミッションを縦置きすると、

・重たいエンジンとミッションが車体中央に寄せられるので、重量配分が良くなるし
・オーバーハング部分の重量も減らせて回頭性も良くなるし、冷却性能も良くなる。
・フロントデフをミッションとは別に交換できるので整備性も良い。
・ボディの幅にミッションのサイズが制限されないので、大きくて頑丈なミッションが使える
・サスペンションや補器類の配置に自由度が増す…など。

まさにいいことづくしなんですね。
欠点は、市販車の場合は室内が狭くなることですが、
そんなのスポーツカーにはどうでもいいことですよね。




ランエボは、あくまでもランサーの派生車種ですから
北海道の教習所で使われてるような、生活四駆のランサーセダンと
基本的な構造は一緒なんですが、それをもはや捨ててしまおうと言う提案です。



とはいえ、市販の前輪駆動車を縦置き4WDに改造するなんて並大抵のことじゃない。
コストも大幅に上昇するでしょう。
しかし、そもそもランエボは求められる性能に対して
あまりにも価格が安すぎだったのでは?と思うわけです。




たとえば、エボ7(GSR)が300万円、
R34GTRのV2ニュル仕様が610万円とほぼ半額。

グループAのホモロゲーション(マシンのベースとして市販車を認証すること)
に必要なのは、1年間で2500台以上。
これに対してGSR:9665台/RS:259台と、あまりにも供給が多すぎる。
R34GTRのV2ニュルは1000台即日完売。

ランエボは、もっと高価で高性能で良かったはずです。

そこで、ランサーエボリューションⅦを居住性やコストを度外視して
グループAマシンのベースとして使えるように

・縦置きエンジン&ミッションにする
・外装にもっとアルミ・カーボンを使いまくる。ボンネットとかルーフとか。
・ホイールハウスも馬鹿でかくしちゃう。もっと大きいタイヤ履ける。
・バッテリーとかもトランクに設置しちゃう。

元の値段から、倍近い600万円程度にした「4ドア最速のスーパーカー」
つまり三菱製の4ドアGTRのような立ち位置のマシンとして開発すべきだったと思います。



※R33のGTRにも4ドアがごく少数存在しましたね。こういう感じ。

WRカーですら許されてない改造を市販車の段階で盛り込んでしまう、というプラン。
まさにグループA規定だからこそできる、過激なやり方。でも完全に合法。




安価な4WDターボが欲しい客層は、インプレッサとかフォレスタを買えばいいわけで
三菱のフラッグシップスポーツカーとして、ランサーエボリューションⅦは
一段階上のレベルへと昇華するわけです。素晴らしい!



これが現実になっていれば、
ワークスチーム(メーカー直系のチーム)のWRC参戦もだいぶ違ったはずです。
なんせ、基本構造に関しては(机上では)最強のマシンになるわけで
あとはラリーマシンを製作する段階で
(競技用の)燃料タンクの位置を床下にする等の低重心化と、癖の強いセンターデフを
どうにかするだけで、三菱は最強のラリーチームでいられたのではないかと思います。

基本的な開発を日本の三菱が担当して、
ラリーチームの運営と、ラリーマシンの製作・開発を英国が担当する。
それまで続けてきたスタイルを変えずに済むので、混乱も起きなかったはず。


三菱のワークスチームだけでなく、ランエボを使うプライベーターの状況
モータースポーツの入門カテゴリーの状況も変わったはず。



たとえばグループNで経験を積んだドライバー・チームが
プラスアルファの改造を施すことで、グループAマシンにコンバートできるようにする。
これだとWRカーを購入しなくても、戦闘力の高いマシンが手に入るわけです。
お金はなくても腕はある、そういう若手選手をより発掘しやすくできたのではないかと。




ラリーにかぎらず、スーパー耐久などのレースやJAFのスピード競技のように
市販車をベースにするカテゴリーでも状況は変わっていたかも。
とくにスーパー耐久は、格上のGTRを食える速さになっていたかも。




それに、縦置きエンジン・ミッションにしておけばドリフトへの転用もしやすかったはず。
というか廉価版として、最初から後輪駆動のランエボも用意しておけば(ランタボと呼びたい)
ドリフトマシンといえばランタボ、みたいな状況になっていたかもしれませんね。

若い走り屋が憧れるブランドは、日産でもホンダでもなく、三菱。
そんな若い子が家庭を持ち、三菱のミニバンに乗るようになる。そんな未来があったかも。



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どうでしょうか。
「ランエボの戦闘力(と値段)を倍ぐらいにして、世界最速の4ドアスーパーカーにしちゃおう」
という考え。ワクワクしてきませんか?

こうしていれば、戦闘力が高いマシン&市販車と密接な関係もそのままだったわけで
三菱が1勝も出来ずにWRCを撤退することもなかったし
三菱自動車の「技術とスポーツ」なブランドは
もっと確かなものになっていたのではないかと思うんですよね。


という妄想を記事にしているうちに、三菱自動車が再び大スキャンダルを起こしてしまい
会社自体の存亡の危機に瀕する状況になってしまいました。
うーん、これは本当にかなしい。

記事の公開やめようかなとも思ったんですが
また三菱が元気になってほしいなという願いも込めて公開しておきます。

ひわい




1 件のコメント:

  1. ひわいさんのブログを見つけたのは、「三菱ミニカ 楽しい」で検索して、たのしいのりものという旧ブログの記事にヒットしたのがきっかけです。「そうだ、ミニカ、買おう」のセリフが大好きで、あの記事は何回見たかわからないくらい見ました。今も大切にミニカに乗っていますので、ひわいさんの三菱に対する熱い思いに共感しました。ひわいさんの影響でわたしもブログを、始めたので、勝手に師匠と思っています。しょぼいブログですが遊びにきてください。

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